トウモロコシで考える

本日、トウモロコシを頂きました。さてどうやって食べましょうか。焼いてもよし、茹でてもよし。彼の国では主食となっていたりしますから、これを煮て白飯代わりに晩飯というのも異国情緒があって楽しいというものです。とりあえず私は辞退しますが。
さて、そんな訳で本日の夕食はアンデス気分でトウモロコシ。そしてパスタが残っていたはずですからトマトソースで更に気分を盛り上げてみましょうか。
どうも焼肉後の反動はただ事でないようです。昨日は夕飯喰っていませんし、本日は頂き物だけで終わらせようとしている模様。心模様。きっと編み目のようサシの入った模様です。ああ、カルビが恋しい。
自宅にあるのものが、野菜系と穀物系というところに「ある肉は全て喰う」という基本姿勢が見られます。というか、草を喰わないから残っている、というのが正解のような。
世の中の半分以上は欺瞞と虚構で構築されているのですから、私の心模様にサシが入っていたところで肉が食える訳ではないのです。あるのは穀物。ネズミじゃないんだから、これだけで生きていくなんて無理というもの。
よしんばネズミだったとしても、私は町のネズミ。たとえ危険が迫ろうとも、台所のチーズは食べたいのです(イソップ物語「田舎のネズミと町のネズミ」参照)。ええ、旨いもののためなら猫でも痛風でも怖くないのです。
なのに自宅は穀物庫。この自己矛盾の中にこそこれから先の生きていくヒントが隠れているのかも知れません。

“人は肉のみにて生きるにあらず”という警告でしょうか。
分かっているのですけれどもね、頭では。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)