焼鳥への感慨、炭火焼鳥「鳥平/兵庫店」

もう時系列なんてものは無視。ということで先週焼鳥を喰ったのですよ、というお話。というのも、最近焼肉、焼肉とまるで焼肉の亡者の様になっている私。それ自体は大して間違いではない、というよりも大正解なのですが、決して焼肉だけで生きている訳でないことを宣言するため、焼鳥。大して変わらんのですが。
いつもは、ひとつひとつのメニューを取り上げて、あれのこれが旨かっただとか書いているのですがたまには違うアプローチで。違うのかどうかは今の時点では分かりませんよ。書き上がるまで方向性が分からないのが私の特徴。行き当たりばったり。
私が生肉、というと、このサイトをご覧の方はほぼ間違いなく「牛」だと思われると思うのです。概ね間違いはないのですが、私の場合、始めて食べた生肝は鶏でした。これも世の中の多くの方と変わらないでしょう。
というのも、焼肉、というとやはり「焼く」という先入観があったので、メニューはカルビだとかロースだとかホルモンだとか焼く方向に向いてしまうのですね。なので「牛の生肉」ってのを意識し始めるまでは基本的に生といえば鶏。
それも生肝な訳ですよ。若かりし二十歳前後の頃。働き始めて間もない私を悪の道へと誘ってくださった諸先輩方。一回り、半回りくらい年上の悪魔の様な方々が連れて行ってくれるのは、路地裏の居酒屋、ビルとビルの隙間にあるホルモン焼などカルチャーショックの日々な訳です。
で、そんな時。やはり焼鳥というのは定番になる訳で。恐らく10軒や20軒できかないほど行ったのではないでしょうか。そこで覚えた生のレバー。旨かったですね。堪らなく旨かった。
私の母親が偏食なもので、こういう「大人の味」的な食べ物(まぁ、ぶっちゃけ生ものや鶏肉)はほとんど知らなかった。それがいきなりの解禁。あ、ちなみに学生の頃は典型的な貧乏学生ですから、そういうお店に行くことは希でした。
とまぁ、水を得た魚の様に色んなものを食い倒しです。それこそゲテモノ扱いされる様な酒の肴も食いまくりました。え〜と、何だっけ?ああ、もう思い出せないですわ。今では喰えないものが無いほどに無駄な成長しましたから。
ということで、こと焼鳥に関しては、思い入れと言うよりも若かりし頃の想い出が蘇る訳ですよ。ええ、懐かしいあの店。始めて○○を食べたあの店。走馬燈の様に甦ります。いや、それは死ぬときでしたか。
実際、その当時行っていたお店に、久しぶりに行ってみると「あれ?こんなもんだったかな?」と思ってしまうこともある訳ですよ。想い出の中では「ほっぺたとろけ落ちる〜」と思っているあの料理が、喰ってみたら、あれ?
きっと、若く無謀で無茶で好奇心旺盛で取り敢えず何でも吸収していた、あの無垢な舌で無くなってしまったのでしょうね。重ねた年月は、美味しいものを覚えましたが、全く真っ白な自分が感じた、あの悦びはもう味わえないのかも知れません。
料理人の腕が落ちたとか、店のレベルが下がっただとか、よくアチラコチラのブログで目にすることがあります。でもそれって、本当に落ちたのでしょうか、下がったのでしょうか?私には疑問に思うことが時々あります。
もしかすると、感動する力が落ちてしまったのは自分では無いでしょうか?食べながら「あそこのアレにくらべると…」とか「以前はこんなものじゃなかった…」とか、“比べる”ということで、自分を正当化しようとして“感じる”力が弱っているんじゃないだろうか、と。
まぁ、これに関しては、今現在二十歳の人と、かつて二十歳だったことがあったという歴史を持っている私と、本気で食べ倒してみたいと思いますね、ええ。で、本当にこれは旨いのか、それとも私の想い出の力がそれを押しとどめているのか、もう一度自分探しをしてみたいのです。
とまぁ、焼鳥から全く違う話になっているのですが。うん、そう。二十年前の、あの時の自分に、先週食べた焼鳥を喰わしたいのです。旨かった。本当に旨かったのですが、二十年前の私にはどうなのか?いったい何と答えてくれるのでしょう?

きっと「お代わり!」と元気よく返事をくれるに違いありません。
はい、人の三倍は食ってましたから。

今回のお店:炭火焼鳥「鳥平/兵庫店」
兵庫県神戸市兵庫区駅南通1-2-19
TEL.(078)652-6488

2 comments to “焼鳥への感慨、炭火焼鳥「鳥平/兵庫店」”

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