焼肉の歴史

「焼肉」はいつ頃から日本人の間で食べられるようになったのでしょうか?そして、どんな理由で食卓に並ぶようになったのでしょうか?これについて順を追って調べていきたいと思います。
実はそんなに昔の話ではないのです。本格的に日本で「焼肉」が食べられるようになったのは、ほんの数十年前、戦後からなのです。では焼肉だけではなく「食肉」についても軽くふれながら、「焼肉の歴史」を見て下さい。

※このページは、新しい情報が入り次第どんどん追加していきます。

飛鳥●このころは狩猟も盛んで、野山の動物を食用にしていました。
奈良●天武4年(675年)天武天皇によって「殺生禁断令」が出されました。
この禁断令では「牛・馬・犬・ニワトリ・猿」の肉を食べることを禁じています。
これは、仏教の教えだけではなく、農耕・運搬用の動物を食べることをよしとしなかった事もあるようです。
そのため、イノシシや熊、キジなどが含まれていません。これらの動物は農作物を荒らしたり、貴族の狩りの対象だったためのようです。
どちらにしても、これにより日本の食肉文化が一時期途絶えることとなりました。
江戸●この当時、肉食は当然禁止でした。しかし、病人の滋養強壮のために狸や熊などが食べられていました。当然、公の場では食されていなかったようです。

●彦根藩では、牛肉の加工品を将軍家などに献上していました。今でもある「味噌漬け」や「粕漬け」などだったそうです。

●水戸黄門でおなじみの光圀は、実はとても食い道楽だったので牛肉も食べていたそうです。ちなみにラーメンも好物だったと聞いたような覚えがあります。

●昔話で、よく鬼ややまんばが牛を食べるという話がありますが、これは肉食を禁じるためのお話だったようです。ところが、「かちかち山」では狸汁を食べるシーンが出てきます。また、猟師が熊を打ったりする話もたくさんあります。きっと昔話を利用して子供たちに、殺してもいい動物といけない動物の区別を教えていたのでしょう。
明治●明治2年(1870年)日本海軍が牛肉を栄養食として採用しました。

●明治5年(1873年)1月24日、明治天皇が国民に肉食を促すため、牛肉を食べました。これにより、実質的に肉食の解禁となりました。もっともこの肉食の奨励も外圧によるところが大きく、牛肉を気味悪がっている人たちが牛肉を食べている外国人を気味悪がるのを押さえるもくろみがあったようです。この当時の外国人といえば「肉を食べ、血を飲む」と思われていたからでしょう。ちなみに「血」とは赤ワインのことです。

●同年4月25日「僧侶の妻帯肉食」の解禁。

●明治に入る直前くらいから「牛鍋」を生業とする人たちが出てきました。居留地などで牛肉などが手に入ったためでしょうか、長崎・横浜などに出来たようです。これにより、日本人にも牛肉を食べる機会が与えられました。とはいえ、最初はなかなか繁盛しなかったようです。

●この頃牛鍋は「あぐら鍋」と呼ばれ、座敷であぐらをかいて気楽に食べていたそうです。そこで仮名垣魯文は「安愚楽鍋」と当て字をしました。

●この当時の肉は当然ですが赤身ばかりだったようです。今のように「さし」のはいった肉などはありませんでした。それを臭みがなくなるまで水にさらしたり、煮込んだりするのですから味の方は期待できそうにありませんね。

●また、この臭いは相当だったようで中川嘉兵衛という人は、臭い対策のため天然氷の切り出しも手がけました。
大正●この頃になっても、肉の供給量が特に増えなかったため、消費量も目立って増えるということはなかったようです。
ただ洋風文化の大衆化が進んだ時期でした。
昭和●昭和12年、大阪の洋食店「北極星」が"ホルモン煮"商標登録を出願して、15年に登録されたといわれています。今現在では登録が切れてしまっているのか、確認する事が出来ないそうです。

●終戦直後 牛肉や豚肉は禁制品となっていたため、ほとんど流通する事がありませんでした。そこで、内臓肉を「焼き鳥」としてヤミ市で販売したところ非常に評判がよかったそうです。ただし、お客さんも、これが鶏でない事は承知の上だったようです。

●昭和20年頃、焼肉屋のルーツといわれる東京の「明月館」、大阪千日前の「食道園」が開店しました。今でも「明月館」「食道園」というお店が多くありますが、直系のお店ばかりではないようです。

●昭和33年 松阪肉牛協会が設立されました。ここに行政が加わり、松阪牛の東京進出とブランド牛としての確固たる地位を確立していきます。

●昭和40年代 朝鮮半島問題がきっかけとなって、韓国を支持する派閥が自らの店を「韓国料理屋」と名乗りました。これに伴い、それまで全てが「朝鮮料理」「ホルモン屋」であったモノが、北朝鮮を支持する経営者が「焼肉店」を名乗るようになりました。これは苦肉の策で、プルゴギを日本語に直訳しました。

●昭和55年、名古屋の株式会社シンポが無煙ロースターの開発に成功しました。これによって、それまでの煙の中でニオイがつくのを気にしながら食べていた焼き肉が、サラリーマンや女性にも敷居が低くなりました。

●昭和59年、全国肉用牛枝肉共進会において前沢牛が最優秀賞を受賞し、この後一気に名前が売れました。松阪牛に対抗できる肉牛として、特に東日本で重宝されています。

●昭和63年 ソウルオリンピックの影響で韓国ブームが起こり、それに伴い韓国料理や焼肉店が大ブームになりました。それまで「朝鮮漬け」と呼ばれていたキムチも、この頃から「キムチ」として一般化しました。
平成●平成3年、牛肉の輸入自由化により牛肉の価格が一気に下がりました。この頃から輸入肉との差別化のために、「国産牛」という呼び名が出来ました。また、和牛と国産牛という非常に分かりにくいネーミングになってしまいました。和牛とは黒毛和種、褐毛和種、無角和種、日本短角種を指します。対して国産牛とは国内で生産される肉牛(廃用乳牛を含む)です。

●平成5年、全国焼肉協会によって8月29日を焼肉の日に制定しました。また時期は不明ですが、日本食肉協議会により、毎月29日を肉の日としました。これらの日には精肉・焼肉店などで割引やセールを行っています。

●平成13年9月10日、日本で最初の牛海綿状脳症-Bovine Spongiform Encephalopathy ( BSE )通称"狂牛病"が認定されました。そのため、畜産業界・飲食店(特に焼肉店)は過去に例を見ない打撃を受けました。


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